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Memphisぶらぶら

【National Civil Rights Museum】メンフィスにある国立公民権博物館でアメリカの歴史・アフリカ系アメリカ人公民権運動について学ぶ

ぴんねず
ぴんねず
Hello!アメリカ帯同妻 
ぴんくのねずみです☆
今日は
『National Civil Rights Museum』のお話です!

初心に帰って我らがメンフィスを週末ぶらり番外編#7

先日、メンフィスのダウンタウンにある、

National Civil Rights Museumに行ってきました。

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「クレジットカードの特典で無料で入れるらしい!」と

非常に軽~い気持ちで訪れたんですが…

展示資料の多さに圧倒されました!!

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しかし、歴史の流れに沿って、

最初から最後までストーリー性のある作りになっているので、

映画や小説の中を歩くような感覚で見て回ることができます。

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とても勉強になったので、以下、私なりにNational Civil Rights Museumから学んだことをまとめておこうと思います。

National Civil Rights Museum

日本語で言うなら、“国立公民権博物館”でしょうか。

入り口には、アメリカ国旗とテネシー州の旗が青い空にはためいていました。

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内容は、African-American Civil Rights Movement、

つまりアフリカ系アメリカ人公民権運動に関わる展示物がメインです。

日曜日の午前にも関わらず、館内は非常に賑わっていました。

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メンフィスは黒人比率のとても高い町なので、それぞれの“Civil Rights”について関心の高い町なのかもしれません。

(2000年の資料では、メンフィスの黒人割合は60%に上るそうです)

入館料

入館料は以下にようになっています。

「学生でもけっこう高い…」

でも、このチケット代を払う価値のある博物館だと思います。

(ちなみに、バンクオブアメリカのキャッシュカードやクレジットカードには無料で入場できる特典がついています)

【建物】Lorraine Motel

昔モーテルだった建物が改装され、博物館として使われています。

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人権分離が認められていた時代に、黒人が利用できる数少ないモーテルのひとつだったようです。

ブルースの王様とも呼ばれるBBキングも、この宿を利用していたそうです。

展示から学ぶアメリカの歴史

激動の歴史を少しおさらい…

15世紀末 スペイン・ポルトガルによりアメリカ新大陸の植民地経営が始まる

16世紀 アフリカ大陸の黒人奴隷を供給する大西洋奴隷貿易が始まる

1776年 アメリカがイギリスから独立

1807年 イギリスが奴隷貿易を廃止

1831年 アメリカで奴隷廃止運動が始まる

1861年 南北戦争勃発

1863年 奴隷解放宣言

1865年 南北戦争の終結・奴隷制度の廃止

1870年 黒人の選挙権を容認

1876年 ジムクロウ法(アメリカ合衆国南部の州法) 成立

1890年 MS州で黒人の選挙権はく奪運動が始まる

1896年 最高裁が「隔離しても平等なら差別でない」と人種隔離を認める判決

1954年 ジムクロウ(人種隔離政策)が覆される

1960年代 黒人差別撤廃運動・公民権運動

 キング牧師がバスボイコット運動を率いる

 フリーダムライド

1963年 ワシントン大行進

 キング牧師のスピーチ「I Have a Dream」

1964年 ケネディ大統領 暗殺

1964年 公民権法 制定 

1968年 キング牧師 暗殺

アメリカ合衆国奴隷制度のはじまり

16世紀以降、大西洋奴隷貿易はヨーロッパ、アフリカ、アメリカを結ぶ三角貿易の一辺となります。

展示室のフロアには世界地図が描かれ、奴隷船の運行経路がリボンのように張り巡らされていました。

船旅を終えるには1-2ヶ月かかり、互いに鎖で繋がれ身動きの取れない奴隷たちは、過酷な船内で命を落とすことも少なくなかったようです。

1955年 キング牧師率いるバスボイコット活動

人種隔離政策(ジムクロウ法)により、あらゆる施設や乗り物で白人と黒人の利用スペースが分けられていました。

1955年アラバマ州モンゴメリーで、公民権運動のきっかけとなった“とある事件”が起こります。

ローザパークスという黒人女性が市営バスの“黒人優先席”の最前列に乗車していた際、白人優先席が満席になったことを理由に、運転手から白人に席を譲るように指示されました。

その命令を拒否したパークス、「運転手の座席指定に従わなかった」という理由でアラバマ州警察に逮捕されてしまったのです。

ローザの逮捕後、キング牧師らが路線バスへの乗車ボイコットを市民へ呼びかけます。

もともとバス利用者の4分の3が黒人だったこと、肌の色を問わずボイコット活動に協力する市民が多数いたことで、市のバス事業は大きな打撃を受けました。

ボイコットは1年にわたって続けられ、1956年12月最高裁判所から「交通機関における差別待遇は違憲である」という判決を勝ち取ります。

1961年 フリーダムライダー

1960年の最高裁判所の「州間バスと鉄道の駅での人種分離は違憲」という宣言にも関わらず、それ以降もアメリカ南部での分離は続いていました。

1961年にその状況を打開しようと白人7人と黒人6人のグループが人種による座席指定を無視して、ワシントンDC発の州間バスでアメリカ南部を巡る旅に出発します。

バージニア州、ノースカロライナ州、サウスカロライナ州、ジョージア州、アラバマ州、テネシー州を巡る旅、最終目的地はニューオーリンズに設定されました。

彼らのことは“フリーダムライダー”と呼ばれ、人種分離に“非暴力“で立ち向かうというのが彼らの信念でした。

しかし、道中で幾度となくトラブルに巻き込まれます。

中でもアラバマ州では、暴徒化した大勢の白人至上主義者から暴力を受けたり、バスに火を放たれたりした上、黒人フリーライダーは地元病院での治療を拒否されるという深刻な事件も起こりました。

そのとき白人フリーライダーは「兄弟(黒人フリーライダー)を置いてはいけない」と救急車を降りたそうです。

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フリーダムライドでは多くの犠牲がありました。

しかし、この運動が広がって、最終的には436人のフリーダムライダーが南部の州間バスに乗り、人権分離撤廃を呼びかけました。

勇気あるフリーダムライダーたちが、民権運動のひとつの鍵となったのです。

1968年 キング牧師暗殺

この博物館の最終展示は、キング牧師が最期を過ごした“306号室と307号室”をそのまま再現したという2部屋でした。

当時メンフィスでは、黒人のごみ処理労働者の労働条件向上に向けてのストライキが行われており、黒人労働者たちは“I AM A MAN”という看板を首にかけ、毎日市庁舎までの道を行進していました。

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ところが、このストライキに対し裁判所から抗議禁止命令が出てしまいます。

キング牧師はバスボイコット事件を率いてから黒人のリーダー的存在になっていたため、困った黒人労働者たちがキング牧師に助けを乞うためメンフィスに呼んだのでした。

1968年4月3日にメンフィス入りしたキング牧師は、モーテルの306号室にチェックインします。

翌日4月4日、地元裁判所からデモ行進の許可をとりつけることに成功。

デモ行進への法的な規制がなくなったことで、キング牧師たちはお祝いムードでした。

モーテルの部屋で弟や仲間と楽しい時間を過ごす、キング牧師。

夕飯は地元の仲間が、自宅で南部料理を振舞ってくれる予定でした。

4月4日18:01友人の迎えが来てバルコニーに出たところ、

キング牧師は銃弾に倒れます。

現場のバルコニーには花輪が飾られ、友人の迎車も再現されています。

【壁画】Memphisで奮闘した人々

博物館の向かいには、アメリカ激動の時代にメンフィスの公民権活動を率いた指導者たちを描いた大きな壁画があります。

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Ida B. Wells…アフリカ系アメリカ人のジャーナリスト兼活動家。1890年代、反リンチ運動を主導。3人の黒人事業主のリンチについて書いた。

Lucy Tibbs…44人のアフリカ系アメリカ人が殺害され、多数の黒人教会、家屋学校が焼かれた1866年のメンフィス暴動と虐殺について、米国下院特別委員会で証言。

Maxine and Vasco Smith…公民権運動中の学校の人種差別撤廃からアフリカ系アメリカ人コミュニティでの有権者動員まで、あらゆることに尽力。

John T. Fisher II…キング牧師暗殺後、公民権運動の継続に尽力。白人コミュニティからの反発にも関わらず、アフリカ系アメリカ人に多くのビジネスチャンスを生み出す手助けを行った。

Charl Ormon Williams…女性が教育を受ける権利を得るために活動。1914年にShelby Countyの最初の教育長になった。

Dr. Shelden Korones…アフリカ系アメリカ人や経済的に不利な立場にある人々が多く、メンフィスが国内で最も高い乳児死亡率に直面していたとき、全米初の新生児治療室を設立。

Nina Katz…ホロコーストの生存者。Facing History and Ourselvesのメンフィス支部設立に貢献。

Legacy Building

博物館の向かいには、入り口に“THE LEGACY”と刻まれた建物がありました。

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LEGACYには「世代から世代へ受け継ぐもの」という意味があります。

Civil Rights Museumのチケットで、こちらにも入ることができました。

ここも昔はホテルだった建物で、キング牧師を撃った犯人ジェームズ・アール・レイが宿泊していたとされています。

館内には犯人が乗っていた車、Fordのマスタングの展示や、

ここから狙撃したという窓がそのまま残されていました。

ジェームズ・アール・レイの犯人像

ジェームズは強盗・詐欺の常習犯で、脱獄中の極悪人でした。

キング牧師を暗殺後は、11時間かけてアトランタに逃走。そこからさらにトロントへ飛びカナダで偽造パスポートを入手、白人至上主義のローデシア(現ジンバブエ)へ国外逃亡を図ったのち、ポルトガルのリスボン、イギリスのロンドンとさらに逃亡を続け、事件から2か月後ロンドンのヒースロー空港で偽造パスポートを使用したとして逮捕されました。

犯人引き渡し条約によってテネシーに護送されたのち、犯行を自供。

しかし、偽造パスポートをどのように誰の金で入手したのか?さらに国外逃亡の航空券および滞在費を誰が支払ったか?これらのアイデアを誰から授かったのか?などは、大きな謎のままだそうです。

ぴんねずの思い

メンフィス生活3年半にして、Civil Rights Museumは初めての訪問でした。

私はメンフィスに来てから「アジア人だから…」という理由で差別を受けたことはありません。(気づいてないだけの可能性もあるけど)

こんなに英語が分からないのに、バイト先でも教会でも銀行でも免許センターでも…親切な人に助けられた記憶しかないのです。

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博物館内のモニターには、黒人が暴行を受けている当時の映像が流されていて、見るもの辛いほどでした。

数人の黒人高校生がそれまで白人しかいなかった公立高校に初めて入学するという時代、町で暴動が起き公立高校が閉鎖、白人学生たちは私立校に転校するというような事件もあったようです。

また、フリーライダーたちが出発する前、南部の人たちは「北部出身のあなたたちは南部の現状を知らない。危険すぎる」と言ってその活動をとめたという話もあります。

私はこれまでBLMのニュースを見てもなんとなくピンと来ていませんでしたが、なぜアメリカ人が“肌の色”という点での人種差別に敏感に反応するのか、少し理解できたような気がします。

“肌の色”で人をグループ分けすることは、とても簡単です。

そして、その容易さにより自分自身のルーツも知れてしまうので、BLMはいっそう過激化しやすいんじゃないだろうかと思いました。

ガンジーから強い影響を受けたキング牧師は、徹底的に“非暴力”のひとでした。

悲惨な現状を打開できないことにいら立った黒人指導者の中には「ベトナム戦争に加担することで黒人の人権を得よう」と考える人も居ましたが、キング牧師は「非暴力を掲げている自分が戦争に賛成することはできない」と言ったそうです。

正直、正解は分かりません。

でも、メンフィスにいる間にこの博物館に行けたことは私の人生において大きなプラスでした。

そして、私にできることは…

どんなに環境が変わっても、

アメリカでたくさんの人にしてもらった“親切”を

今後も忘れないでいることかなと思っています。

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